自分という人間を知ってもらうということ

最近、よく考える。
自分は一体何者かって。

確か17歳くらいのときも同じこと言ってた。

でも今と違うところ、それは昔は、他人からの定義が気になって仕方無かったということ。
自分の価値は友達に決めてもらっていたようなものだ。
毎日苦しかったのもそのせいかな。


8年ほど経ってからは、同じ質問だけれども首は別の方向にかしげているよう。

今は他人がさほど気にならない。0%というのは難しいが。
自己評価を上手くできるようになった。
褒められたら、自分を信じて、叱られたら、また自分を信じて。

自分は何者=みんなが自分をどう思うか、

じゃなくて、

自分は誰のために何をして生きていくのだろう。自分がさらにできることって何だろう。自分が直さなきゃいけないところってどの辺だろう。
自分とのディスカッションが絶えない。
だからって病んでるのかって?
NO.

自分を大事にできるようになった。自分の成長への涙が流せるようになった。そうやって自信が少しずつベイビーステップインする。

自己中に聞こえるというその点に関しては、、、

そうしている方がずーっと他人を愛せるんだよ。家族はもちろん、友達や仕事場の人たち、自分と関わる人たち全てに自分のものをあげようと思う。
ある偉い人がこう言ってた。
「全ての人に、まるで大きな問題があるかのように、接しなさい。大体の確立でそれは正しい結果を結びます。」

・・・心が痛んでない人なんかいない。人種や病気の有無にかかわらず、みんな何かしらの”風邪”を引いているもの。

だからさ人間は弱い人をいじめることはなによりかっこわるいんじゃないか。



自分もあらゆる傷をえぐられ今日まで来た。自分の傷口を恨むんじゃなくて、他の人の傷を優しく撫でてあげれば、気付いたら自分の傷なんて忘れてた。もはや傷に感謝している。

人生そんな感じでライトアップするよ。


自分を愛して、
他人を愛する。



愛は世界を救うとかいうくっさいきっもいセリフ。

本当なんだよなあー。










なんてめんどいこと長々考えるのが最近の趣味。










じゃがりこくいてー。アメリカにねえー。

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by poteto-n-o-b | 2017-07-04 20:09 | Comments(0)